あっちいってよ馬鹿
幸福にも自分は、嫉妬の感情が大変に希薄なのだけど、他人の家庭の暖かさに触れた時、
不全では無い家庭を目の当たりにした時、
いつも、酷く調子が狂ってしまう、世界のことを呪ってしまう
思い起こさせられる。
自分が得られなかったもの
得ても気付けなかったこと
次の世代に与えられないこと
次に、最近ではリバイバル上映の回数も減少気味の、淀んだ、ねばついた空気がこもった、暗い部屋の情景が脳裏に貼り着く。
どうしようもなく暗いのに、暖色の電球が、殺伐とした部屋の色温度だけでも向上しようと躍起になっていて、無意識にそれが苦手だった。道化のように思えた。
今の私の部屋の明かりも暖色だ。この電球を変えたくて回転椅子の上で転倒しかけたことが何度あるか分からない。
余談だった。
学校から帰ってきたら、母が包丁で髪をズタズタに切って泣き崩れている。狂乱した母に怒鳴られ泣きじゃくる弟が見える。
母が刺した、ダイニングチェアのクッション部分から出た綿が見える。
青い絵の具で描かれた辮髪の子供が全面に踊っている、淡いヒヨコ色の中華皿。いつも怒鳴られながらご飯を食べた、恐いお皿がシンクに投げ込まれて割れる音が聞こえる。
パトカーが来た。
ほっとして笑顔で見送った。
お父さんもお母さんもいなくなって
嫌いなおじさんが来た。
身長を聞かれて答えたら、
前の奥さんと同じだ、と湿っぽく笑われた。
殴らないで、なんて思ったことなかった。
思えなかったからだ。
身体より心の方が痛かった。
お母さんの怒った顔は怖いよりも悲しかった。
いつも、どうしたらいいのか分からなかった。
謝っても許してもらえなかった。
生きてちゃダメなんだと思った。
切実に思った。
わたしは何回謝れば許してもらえるのか、何回謝るのか、聞かれた時に、何度謝っても許して貰えない気がして、思いつく限りで、知っている中で一番大きな数字を答えた。
それはゼロと同じだとぶたれた。幼稚園の時だったから、信じていたけど、小学校でも中学校でも、100 = 0 なんて教えてもらえる日は来なかった。
とうとう大学を辞める。
誰も、私があと何回謝ったら生きてることを許してくれるか教えてくれない。